「病気」カテゴリーのアーカイブ
去る5月12日、妻はホテル療養を開始しました。仙台駅の近くの○横インにて約二週間の行程。
一日目。
初日から困ったのは子どもたちのご飯でしょうか。何しろ中々買い物にも行けなくなったので、どうしたらよいものか。そんなこんな考えていたら、名取市からお届け物が。簡易検査キットとO2センサ、それと山程の(ほぼレトルト)食品。おやつとたくさんのおむつも入っていて、神降臨的な。ありがとう市長さん。ありがとう○マト運輸。
二日目。
レトルト食品を織り交ぜつつ子どもたちにご飯を食べさせ、昼間は妻とDuoでテレビ電話。子どもたちも落ち着いていてくれるので助かります。届いた食品の中の子供向けおやつはあんまり食べてくれません。じゃがりこと星せんべいは神。妻も体調は悪くないようで発病から3日程度は辛かったもののホテル療養に入る頃には落ち着きを取り戻していました。
三日目。
妻には退屈しのぎを沢山もたせたのでYou Tubeなり何なりで過ごしていたようですがマッハで飽きたようです。三食のお弁当もほぼ揚げ物で生野菜が恋しいとこぼしています。すまん耐えてくれ。子どもたちと3人でPCR検査を受けるも全員陰性で良かった。
四日目。
ホテルでの過ごし方を妻に聞いてみると、ラジオ体操なんかもあるらしい。飲み物は買いに行けないので持たせたスープや紅茶、お茶、スポドリ(粉)で過ごしてもらいました。お菓子もあるだけもたせたので部屋での滞在は辛くはないとのこと。
五日目。
子どもたちを連れて家の周りを散歩。久々の外出は楽しんでくれました。保育園に行けないの残念がってました。妻はすっかり良くなり、ウィルスの排出が終わるのを一日千秋の思いで待っているとのこと。
六日目。
薬王堂では自宅待機用の買い置きサービスをしてるようで、妻が買い物してくれました。ジュースやチョコレートで子どもたちも大喜びです。子どもたちへのご飯も安定して作れるようになりました。昼間は人気のない公園に連れ出して遊んでもらいました。たくさんご飯食べて元気になってくれ。
七日目。
妻がホテルに入ってから一週間が経ちました。洗濯は部屋で賄えてるし、アメニティに洗剤が入っていて助かったとのこと。寒いかと思って春物を持ってきたけど暑くて、失敗したと言ってた。子どもたちもテレビ電話で母親の顔が見れると特に喜んでくれました。テレビ電話はさて置き電話も満足に使えない時代の療養生活は何をして過ごしていたんだろう。昔は心細かったろうなぁ。
八日目。
あっという間に明日は退院の日。明日はどこに行こうか。お寿司食べに行こうか。退院祝いの算段です。妻が体がだるいと言ってきました。多分、運動不足だろうとのこと。退院後がちょっと心配。子どもたちと水族館のYou Tubeを見て過ごしました。
九日目
待ちに待ったかかちゃんお迎えの日。
子どもたちを車に乗せていざ仙台駅。
屋上駐車場に車を停めると遠くに歩いてくるかかちゃんの姿が。
車の中で再開を泣いて喜びました。
妻が働いている老健施設で新型コロナウィルスの感染者が出てしまいました。
一緒に働いている介護士の夫婦が子供から感染し、それが老健施設内にまん延してしまったとのこと。子供は祖父から感染していたが発見が遅れ老健施設の入所者に感染させてしまったらしいのです。
とは言うものの、どこか他人事だなと考えていた時期が僕にもありました。
施設内は大騒ぎになり隔離区画が作られ防疫対策が布かれました。PCR検査も施設全体で行われ全員が戦々恐々となりました。
結果は出てないものの濃厚接触者のスタッフの中には家族には移せないからと自宅に戻らない人もいて、妻は不憫と思ったのか一緒に買物をしてあげたり下着を買ってきたりしていたそうです。
翌々日、仕事をしていたら妻から電話がありました。
「PCR検査したら私も陽性になってた。子どもたちも保育園から連れ帰ってきたから急いで戻ってきて」と。
もうね、アボカドバナナかと。
眼の前真っ白になりもうパニック。
急いで保健所に連絡して同僚に仕事終わってからと説明したら諭され怒られ連れ去られるように仕事場を後にして帰宅。
それから妻は別の部屋で寝起きして、二人の娘と私は寝室で過ごすことになりました。
子どもたちにはお母さんはお仕事だよーと伝えてもまあ無理ですよね。上の子は何かを察したのかじっと日々我慢してくれました。涙出ますわ。
2日後、妻がホテル療養の予定が決まり迎えのタクシーが来ることになりました。大事になる事は無いだろうとは思いつつも今生の別れになるかもしれないと思うとトイレで泣きました。
ホテルではなかなか満足の行く食事にはならないだろうと出掛ける準備をする嫁に豚しゃぶ作って一緒に食べました。
迎えの日、タクシーがやってきました。
行ってきます。行ってらっしゃい。妻とは挨拶を短く交わし、彼女は迎えの車に乗っていきました。
後で聞いたのですが、タクシーには運転手の他に患者と思われる若い男性がひとり乗り込んでいたそうです。
タクシーが走り出すと、道すがら妻とLINEでチャットしてました。車の移動は思いのほか早く、Googleの位置情報サービスで見ていたらあっという間にホテルに到着しました。お世話になります○横イン。
さて、療養生活の始まりです。
仕事で陰性の証明が必要ということで行ってきました。
全く意味のない検査のような気がしてならないんだけど。まぁ不顕然感染もあるし仕方がないかな。
あれだ、お役所は紙こそ神、電話予約こそ史上としたいはずだが手が回らない現実に泣く泣くデジタル化が進んでいるようで利便性は向上してますがお役所仕事のデジタルセキュリティが心配DEATH。初物DEATH。
前日に宮城県のHPを読んで掲載されていたPDFを見て、仙台空港○クリニックに行ったら健康な人が任意で検査しようとすると健康保険適用外だから2万5千円かかりますとか案内されて感染前提の検査専門医院とかワロスな事態になったので慎重に探しました。
HPだと2000円ぐらいなのだがぼったくりバーですかね。嬢は可愛かったけど。
そもそも宮城県の案内自体が頭おかしいレベルなんです。
県のホームページにはPCR検査についてと言っておきながら、電話をかけてみると「どこそこに検査場がありますとは案内はできないんですよ」とか言うんです。
正にアホ。
何の為に電話番号載せてるのかと問いたい。
こ一時間問い詰めたい。
お前ホームページに検査場一覧のPDF載せとるやないかと問い詰めたい。
この電話は録音してますとか防波堤立てたいみたいだけど罵詈雑言叩きつけられても許されるレベルのユルさだぞ。
尤も、自分で探させずに場所を案内するとそこに人が集中しちゃうから苦渋の話なんだろうけど。
で、出来たばかりの仙台駅前の検査場に行ってきたんですよ。
そこまでも苦難の連続で予約不要とか言っておきながら要予約だったり直近三日間の予約状況が満員御礼だったりとかもうね。
疑われるようなことやってんじゃねーよと検査場の前でロビー活動したい。
検査場も不親切で待合スペースに「誓約書にサインしてください」と表示されてるけど誓約書どこにもなくて予約時間になってしまったから已むを得ず受付に突撃したら「このQRコードを読んで・・・」
ユーアーアホなのぉぉぉぉ?
そんなん待合スペースに貼っとけやぁぁぁぁぁ。
ま、まぁ出来たばっかり(17日に開所)なので仕方ない。
受付の若い男性に案内されて検体採取キットを渡され数あるブースの一つで唾液をせっせとカプセルに吹き込んでいると・・・
後ろで新たにやってきた男性に今度は女性の受付が何やら説明している様子。
「水以外の飲み物を飲んでいると検査機器に影響が出てしまうので待合スペースでお待ち下さい」
え?
俺そんな案内されてないけど?
ここに来るまでBOSSブラックめっちゃ煽ってましたけど?
既に検体採取用のカプセルには十分に唾液が溜められているッ
どうしよう・・・
いいや限界だ!出すねッ
ほとばしるよだれを拭いながら若干噛み気味で検体を提出して脱兎の如く逃げ帰りました。
機械壊したらごめんなさい。
明日には結果がわかるそうなので、どうなることやら。
娘がRSウィルスに罹患してしまいました。
先週の土曜日に病院には行ったものの、医師を目の前にして娘がギャン泣き。
泣き声に気を取られ「RSかもしれないからひどくなったらまた来てね」を聞き漏らした。
今日、嫁が娘を病院に行ったところそう告げられてきたそうな。
嫁の前では偉そうなことを言ってるのにこの体たらく。
嫁はしゃーない、切り替えていこ的な事を言ってくれたが。
娘よ、ゴメンよ。
咳も苦しかったよな。
大変申し訳なかった。
嫁は病院から吸入器を借りてきて、ステロイド水薬とツロブテロールテープという物を処方してもらってきた。
医師の話によると先週の後半ごろから発症したとなると今時期が一番の山だそうな。
金曜日まで軽快しなければ日赤紹介するよとまで言われてきた。
自分のふがいなさにただただため息が出るばかり。
王様のロバは耳が井戸じゃないがなんか吐露する場所が欲しくなってブログうp。
うちの娘なんですけどね。
妊娠がわかったのは妻の誕生日ぐらいのときでしょうか。
仕事から帰ってきたら話したいことがある、と言われたので、ついにうちにも子供が来てくれたのだと直感しました。
妻がトイレから持ってきたのはもちろん妊娠検査薬。予想通りだったのであまり反応に変化の無い私に妻は少々不満だったようです。
もちろん喜んではいましたし、とても喜んだのですが表情とは難しいモノです。
それからしばらく岩沼の鈴木病院という小児科のある大きな病院にお世話になりました。
定期受診を受けて超音波の写真を見せられては男かな女かな、名前どうしよう、家の近くにいられるように仕事転職しなくちゃとかいろいろ考えました。
ハネムーンには連れて行ってあげられなかったので山形の露天風呂付客室のある旅館に「妊娠祝い」の一泊旅行もしました。
いるかどうかも分からない育児グッズを買い漁り、妻から顰蹙を買いました。
娘の顔が4D超音波検査でもおぼろげながら見えてきた6月、妻は産休に入りました。
妻は働いていたので産休を申請したのですが、産休手当に必要な勤めていた老健施設の勤務期間が足らず、産休中の手当てはもらえませんでした(後から分かったので二人でがっかりしました)
車での帰省でしたが妻は一人で運転していったので、絶えず電話をしたり休憩時にはSMSで状況を教えてもらったりと気が気ではありませんでした。
それから数日。
急転直下というモノはやっぱり急転直下なモノで悪い知らせは突然でした。
出来立てピカピカの気仙沼公立病院で初めての健診を受けたところ、娘の胎盤の位置が悪く尚且つ成長曲線にやや遅れがみられると言う事。
妊娠による高血圧のため、娘が危険であると言う事。
外にでもギリギリ大丈夫な週数であることと、これ以上おなかの中にいてもいいことは無いと言う事。
結論から言うと緊急で帝王切開による出産です。
頭は真っ白になりました。当然自然分娩でうぎゃーとか聞かされるものだと思っていました。
鈴木病院では何事も無かったのに。
なにがだめだったのかあれだったかなこれだったかな、もうちょっと薬とかも口酸っぱく言っとけばよかったのかなとか。
一刻を争うとのことで、説明を受けたその日のうちに緊急搬送されることになりました。
その日は風が強く、風が強ければヘリコプターは飛べないので救急車で搬送となりますと説明を受けていました。
気象を見る限り正直なところヘリコプターはやめて欲しいなぁ・・・と思っていたら、ヘリで行くことになりました。
パイロットには頑張って欲しくなかったような頑張って欲しかったような。結果オーライでしたが生きた心地はしませんでした。
搬送の準備が整ったので荷物を取りに嫁の実家に戻りました。
荷物を積んで三陸道をひた走り、桃生に届くか否かという処で妻から病院についたとの連絡が。
妻と別れて一時間経ってないのに。
妻はNICUのある仙台赤十字病院に収容されました。
私が病院についたのはその3時間後。
正直目一杯飛ばしてきたのでへとへとでした。でもそんなことは言ってられません。
帝王切開がその日のうちに決まり、手術は翌日。
面接時間ぎりぎりまで妻と一緒にいました。
明日の朝が今生の別れになってしまうかもしれないと本気で思いました。
一晩中付き添っていたかったし仮設のベッドも持っていましたが、妻に諭され一度は家に帰ることにしました。
翌日。
面会時間ぴったりにやってきた私はストレッチャーに乗せられて手術室に向かう妻を見送りました。
手術は11時から。出産には2時間ぐらいかかると言われていました。
11時半に実父母が駆けつけてくれましたが、時間がかかるので食事をしてきてくれと言いました。
その約30分後。11時57分。
1490gの未熟児でしたが無事生まれました。
それまで動いていなかった手術室用のエレベーターが妻のいるフロアに止まり、しばらくしてから一階上のNICUのある自分のいるフロアに止まりました。
生まれたとの知らせは受けていませんでいたが、娘が生まれたんだと直感しました。
エレベーターから保育器が引き出されてきて、随伴の看護師がフロアを見渡し私と目が合います。
私は何度も頷き駆け寄って娘の顔を見る事が出来ました。
そのまま娘はNICUに運ばれて行きました。NICUは両親以外は親族でも実子でも進入禁止なので父母には悪いことしました。
妻はそのあと1時間ぐらいしてから病室に戻ってきました。
朦朧とはしていましたが呼びかけに対しサムズアップで応えてくれました。
妻と二人で娘に面会できたのはその翌日。
しわしわでした。仕方の無い事でしたが、口元にはチューブが差し込まれ体中にテープを巻かれた痛々しい姿でしたが、生まれたことに二人で泣きました。
それから娘は新生児室のNICUで保育器に入って過ごしました。
仙台赤十字病院で生まれたので急ぎ太白区役所に向かい出生届を出しました。
おお、おめでとうございます、と当直のおっさんに言われたことを覚えています。届け出に来たのが日曜日だったせいか、受付は出来るけど受理は出来ないからもう一回来てね、と言われました。
私と妻は一日毎に病院に通い、娘に母乳を届け授乳を行いました。
泣いては驚き、触っては喜びと二人で娘の誕生を喜びました。
仕事の都合や体調の問題で病院に行けないときは二人で煩悶として過ごしました。
初めて家に娘がやってきたのは8月15日。
初めて乗った乗用車(HONDA FREED HYBRID!)ではすやすやと寝てくれていました。
それからが大変。
2時間ごとに起きては泣いて、寝ては泣いてを繰り返しました。
私も仕事を転職して収入は減ってしまいましたが近くの通える会社にして、何時でも娘の調子を見れるようにしました。
流石に妻は参ったようでしたが、私は大変ではあったけど辛いと思ったことは無いと妻に告げると驚きとともに落胆もしたそうです。
“私は辛いと思ってた、ダメなのかなと”
そんなものは人それぞれで、当人にとって辛いモノであればそれは辛い事なのだと。
子育ては杓子定規で済む話ではない。やってみなければわからない事の方が多いのだと。
24時間泣いてるわけじゃないし、おっぱい飲ませておけば泣き止まなくても死にはしない。
そう偉そうに諭したこともあります。
子育てでは母親の精神的疲労が大きな問題だと思いますが、泣いてから対応するから慌てたり動揺するのだと思います。
泣いたらまずおむつを替えておっぱい飲ませて着替えして、あやして寝なけりゃベッドに寝かせて泣いても様子見。
これが出来うる全ての事だと思います。
このルーチンを鉄の意志で遂行できると心も多少は余裕が出来るのではないかと考えています。
色々な雑誌にも書かれていますが、赤ちゃん特有の夜泣きや泣き止まないといった事象は「特に条件が定まっていない」そうです。
つまりは泣きたいから泣いていると言う事らしいのです。
なので、顔が青ざめたり呼吸が苦しそうだったりぐったりしていたりという状況で無ければ(もちろんそんな事態はすぐに救急車を呼ぶべきですが)特に出来る事も無いし、様子見でも問題はないと言う事の様です。
女性は本能的に泣き声を無視できない様に出来ているという話をどこかで読みました。
乳児の泣き声を聞いて動揺したり、慌てたりするのは仕方の無い事のです。
が、結論から言えば、泣き止まないからと言ってあれこれ考え消耗する必要は無いのだと言う事です。
変わって私の話ですが、娘のお目通しも一通り終わり無事に年越しできたと思ったら鼻炎をこじらせ副鼻腔炎になりました。
続いて職場からインフルエンザを貰い、何と娘に移してしまいました。
これには堪えた。
正直舐めて掛かっていました。
娘の苦しそうな顔が今でも目に浮かびます。
病み上がりではありましたが妻と娘を連れて子供救急センターに行ってタミフルを貰い、泣きわめく娘に薬を無理やり飲ませてくれた妻に今でも感謝しています。
そして今年の5月から妻はパートとして職場に復帰し、娘は保育園に通うようになりました。
応募したのは3月も終わりの頃で正直空いてるところはどこもないかもと覚悟したのですが、運よく自宅から歩いて5分の新築の保育園から連絡があり、晴れて入園出来ました。
名取市民会館での入園式を終えていざエンジョイ保育園ライフ!と思っていたらそうはい神崎。
園内で色々お土産を貰う事もあり、中々体調が安定しません。
汗っかきなのであせもから来る肌荒れとアトピーと思えるような湿疹もあり、正直前途多難です。
薬をカワチ薬品で買い漁り、週末は西松屋とバースディを往復する毎日ですが、それでもここまで来ました。
今、妻と娘は大の字で隣に寝ていますが、これが何とも愛おしい事。
それが今や玄関を出たら今生の別れになってしまったというニュースが蔓延る毎日に心を痛めています。。
家族は大事にしなければぁ、と痛切に思います。
娘も生まれて初めてインフルエンザに罹患していると診断されました。
戦犯、σ(゚∀゚ )オレ
さっさと病院に行かなかった自分が申し訳ないやら悲しいやらバカさ加減にあきれるやらで、嫁さんが今のところ発病してないだけで申し訳なくて涙が出てくる。
自分の子供が熱を出したと必死になる親の気持ちと、
一寸の事でも押し掛けてきてターンとHPを奪っていく親に対する医療スタッフの気持ちと
家族は本当に大事だなぁ
と実感する発病後5日後。
相談センターに電話したら赤ちゃんは体温40℃やそこいらで死んだりしない!と力説された。
水分補給と体の直接冷却さえしていれば何とかなる!と気合を入れられた。
本当にその通りだなと思った。
僕もお父さんになりましたとアラフォーのおっさんが数十回言っている初物ですこんばんは。
育児ノート代わりに夫婦でデータを共有できるAndroidアプリを導入したり、育児のヘイトが上がってみたりと毎日退屈しません。
しかしそれでも、赤ちゃんに泣かれてしまうときにも障るし不安にもなるものです。
今のところ母乳だけでなんとかなっているので「母乳は飲ませ過ぎても問題はない」とネットの胡散臭いネタを鵜呑みにしていました。
今朝方、奥が「でべそになってきている」と訴えていました。
その時は気にならなかったのですが、「過飲症候群」というモノを知りました。
特定の疾患を指しているものではないようですが、簡単に言えば「飲ませ過ぎ」。
自分の安易な判断で好きなだけ飲ませてしまった結果、逆に赤ちゃんに悪いことをしてしまった。
しかし、飲ませ方を厳しくしたり授乳間隔を規定通り3時間にすると余計に泣くようになってしまいました。
自分は良いのだけど、奥のストレスが非常に大きくなっていくのが目に見えて、見ていてつらい。
明日は保健師さんが在宅訪問すると言う事で、よく話を聞きましょうと言う事になりました。
明日仕事に行きたくない。
奥と娘が心配だ。
au CAL-21 から au TORQUE に。
今月で購入してから丸2年。
長かったような短かった様な。
今度のスマホは非接触型充電機能を持ってるスグレモノ。
MIL規格準拠の衝撃対応ボディ。
至らぬところは多いけど、まあ付き合ってみます。
そうそう、うちのとーちゃん切腹することになったんですよ切腹。
なんでこんな寒いときにと思いつつ、明日は手術の日。
無事に目が覚めるといいな。
明けましておめでとうございます。
新年そうそう飲みすぎて手が震える初物ですこんにちは。
去年の大晦日は無事実家に帰ることができて、楽しい年越しを迎えることができました。
元旦は飲みすぎてプルプルしていましたが地元の神社に初詣にも行けました。
先日より仕事も始まり心機一転でしたが今日は天気もよかったのでいわき市の飯野八幡宮まで走り初めに行ってきました。
飯野八幡宮についてはググって見ると面白いかもしれません。
飯野八幡宮の境内。
今日はどこかのご家族が法事に来ていました。
鳥居を潜って本殿へ。
本殿。
趣がありますね~。
10円で「縁(円)が重(十)なりますように」と願掛け。
是非ともお願いします。
特に転職について転職について転職について。
順番が逆になりましたが仙台市の光のページェントも見事でした。
対するいわきし駅前のイルミネーション。
んー。マンダム。
大晦日のゴン太
ゴン太かわいいよゴン太。
今日は久しぶりにバイクで走り回りスッキリ出来ました。
風は冷たくてもバイクは風の子元気の子。
風呂上がりのビールがんまあぁぁぁぁぁっぁぁあああいッ
三週間ぶりの休日を実家で過ごす初物です世の社畜のみなさんこんにちは。
実家に帰ったんです実家に。
大切なことなので二度言いました。
そしたらゴン太がフランケンシュタインか阿修羅男爵に。
猫にやられたのか!事故か!誰にやられたんだとパニックになったんですよパニック。
カーチャンに事情を聞いたら、左目の瞼に出来物が出来て、そのせいで涙が止まらず左の頬が爛れてしまったとのこと。
他にも、元々右頬にブツブツの脂肪の塊のような出来物があり、その中の一つが膨らみ始めたので摘出手術をして昨日退院してきたばかりだったのです。
※グロ注意
一泊二日の手術入院で無事退院できました。
しかし、手術で使った麻酔の影響か分かりませんが足腰が立たなくなってしまっています。
病院に一匹ポツンとおいていかれたせいで酷く怯え当日はご飯も食べなかったらしいです。
退院から一夜明けたモノの未だに震えが止まらずよく眠れないばかりか、足腰も立たずトイレもない。
唯一の救いはご飯の食い込みだけは元気なところ。
お陰でカーチャンも入院させたのは間違いだったかもと意気消沈(ノД`)見るに耐えないのです。
ゴン太よ、カーチャンも早く良くなって欲しいとの思いからこその入院だったのです。
早く良くなって欲しいのです。