6月 2019のアーカイブ

気仙沼大橋に行ってきました。   Leave a comment

一ヶ月ぐらい前なのだけれども。

NHKでも特集されたように良い橋でした。

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全鉄骨構造で中々の高さ。

近くには気仙沼湾横断橋なんかも建設されてどうなっちゃうの気仙沼。

まぁツーリングスポットが増えるのは良い事。

閑話休題。

うちの娘がもうすぐ一歳を迎えます。

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こんなんだったのが↑

こうなって↓

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↓こうなりました。

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一年間頑張ってくれてありがとう。

これからもずっと一緒だよと孫はまだかと考えている今日この頃。

この子が二十歳になったら俺60だよぉぉぉおおぉおおおおおおおッ

Outlook2016の起動失敗に関する備忘録。   Leave a comment

巷にはOutlookという旧世代のバイオハザード遺物のようなアプリの起動失敗に関するネタがあふれていますが、大体は解決策ではありません。

寧ろマイクロソフトの請け売りをコピペしているだけです。

もし、どうしても起動できない場合、ちょっと試してみて欲しいことがあります。

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起動時のプロファイル読み込みから動かなくなってしまった時の対処法です。

C:\Users\***\AppData\Local\Microsoft\Outlook\***.ost

というファイルを探してみてください。

言わずと知れたOutlookのデータファイルですが、それぞれ(設定したアカウントごとに存在します)を.bak等拡張子を付け足してみてください。

当然使えなくなるというメッセージが出てくるはずですが、何故か何かのアプリによってロックされている場合があります。

そのファイルは筆者の環境だと「excel」でした。

何故かはわかりませんが、*.ostファイルをロックしている場合があります。

エクセルを新規で起動した後、保存も何もせず終了するとずっと常駐し続けています。

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これを右クリックして詳細の表示を選択してください。

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詳細タブに移動し、件のアプリが表示されます。

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プロセスツリーの終了を選択します。

コーションがポップアップしますが構わず終了してください。

すると、Outlookが起動するはずです。

なぜこのような動作をするのかは全く分かりませんが、本日昼間のアップデート以降に異常が起きたような気がします。

面倒なのでOutlook開発チームを一旦全員解雇するか、アップデートで改善してもらいたいと思います。

Skyrimも息の長いゲームだな。   Leave a comment

エロMODの柔軟性のおかげか。

SBFは素晴らしい。

あと一ヶ月で満一歳。   Leave a comment

うちの娘なんですけどね。

妊娠がわかったのは妻の誕生日ぐらいのときでしょうか。

仕事から帰ってきたら話したいことがある、と言われたので、ついにうちにも子供が来てくれたのだと直感しました。

妻がトイレから持ってきたのはもちろん妊娠検査薬。予想通りだったのであまり反応に変化の無い私に妻は少々不満だったようです。

もちろん喜んではいましたし、とても喜んだのですが表情とは難しいモノです。

それからしばらく岩沼の鈴木病院という小児科のある大きな病院にお世話になりました。

定期受診を受けて超音波の写真を見せられては男かな女かな、名前どうしよう、家の近くにいられるように仕事転職しなくちゃとかいろいろ考えました。

ハネムーンには連れて行ってあげられなかったので山形の露天風呂付客室のある旅館に「妊娠祝い」の一泊旅行もしました。

いるかどうかも分からない育児グッズを買い漁り、妻から顰蹙を買いました。

娘の顔が4D超音波検査でもおぼろげながら見えてきた6月、妻は産休に入りました。

妻は働いていたので産休を申請したのですが、産休手当に必要な勤めていた老健施設の勤務期間が足らず、産休中の手当てはもらえませんでした(後から分かったので二人でがっかりしました)

車での帰省でしたが妻は一人で運転していったので、絶えず電話をしたり休憩時にはSMSで状況を教えてもらったりと気が気ではありませんでした。

それから数日。

急転直下というモノはやっぱり急転直下なモノで悪い知らせは突然でした。

出来立てピカピカの気仙沼公立病院で初めての健診を受けたところ、娘の胎盤の位置が悪く尚且つ成長曲線にやや遅れがみられると言う事。

妊娠による高血圧のため、娘が危険であると言う事。

外にでもギリギリ大丈夫な週数であることと、これ以上おなかの中にいてもいいことは無いと言う事。

結論から言うと緊急で帝王切開による出産です。

頭は真っ白になりました。当然自然分娩でうぎゃーとか聞かされるものだと思っていました。

鈴木病院では何事も無かったのに。

なにがだめだったのかあれだったかなこれだったかな、もうちょっと薬とかも口酸っぱく言っとけばよかったのかなとか。

一刻を争うとのことで、説明を受けたその日のうちに緊急搬送されることになりました。

その日は風が強く、風が強ければヘリコプターは飛べないので救急車で搬送となりますと説明を受けていました。

気象を見る限り正直なところヘリコプターはやめて欲しいなぁ・・・と思っていたら、ヘリで行くことになりました。

パイロットには頑張って欲しくなかったような頑張って欲しかったような。結果オーライでしたが生きた心地はしませんでした。

搬送の準備が整ったので荷物を取りに嫁の実家に戻りました。

荷物を積んで三陸道をひた走り、桃生に届くか否かという処で妻から病院についたとの連絡が。

妻と別れて一時間経ってないのに。

妻はNICUのある仙台赤十字病院に収容されました。

私が病院についたのはその3時間後。

正直目一杯飛ばしてきたのでへとへとでした。でもそんなことは言ってられません。

帝王切開がその日のうちに決まり、手術は翌日。

面接時間ぎりぎりまで妻と一緒にいました。

明日の朝が今生の別れになってしまうかもしれないと本気で思いました。

一晩中付き添っていたかったし仮設のベッドも持っていましたが、妻に諭され一度は家に帰ることにしました。

翌日。

面会時間ぴったりにやってきた私はストレッチャーに乗せられて手術室に向かう妻を見送りました。

手術は11時から。出産には2時間ぐらいかかると言われていました。

11時半に実父母が駆けつけてくれましたが、時間がかかるので食事をしてきてくれと言いました。

その約30分後。11時57分。

1490gの未熟児でしたが無事生まれました。

それまで動いていなかった手術室用のエレベーターが妻のいるフロアに止まり、しばらくしてから一階上のNICUのある自分のいるフロアに止まりました。

生まれたとの知らせは受けていませんでいたが、娘が生まれたんだと直感しました。

エレベーターから保育器が引き出されてきて、随伴の看護師がフロアを見渡し私と目が合います。

私は何度も頷き駆け寄って娘の顔を見る事が出来ました。

そのまま娘はNICUに運ばれて行きました。NICUは両親以外は親族でも実子でも進入禁止なので父母には悪いことしました。

妻はそのあと1時間ぐらいしてから病室に戻ってきました。

朦朧とはしていましたが呼びかけに対しサムズアップで応えてくれました。

妻と二人で娘に面会できたのはその翌日。

しわしわでした。仕方の無い事でしたが、口元にはチューブが差し込まれ体中にテープを巻かれた痛々しい姿でしたが、生まれたことに二人で泣きました。

それから娘は新生児室のNICUで保育器に入って過ごしました。

仙台赤十字病院で生まれたので急ぎ太白区役所に向かい出生届を出しました。

おお、おめでとうございます、と当直のおっさんに言われたことを覚えています。届け出に来たのが日曜日だったせいか、受付は出来るけど受理は出来ないからもう一回来てね、と言われました。

私と妻は一日毎に病院に通い、娘に母乳を届け授乳を行いました。

泣いては驚き、触っては喜びと二人で娘の誕生を喜びました。

仕事の都合や体調の問題で病院に行けないときは二人で煩悶として過ごしました。

初めて家に娘がやってきたのは8月15日。

初めて乗った乗用車(HONDA FREED HYBRID!)ではすやすやと寝てくれていました。

それからが大変。

2時間ごとに起きては泣いて、寝ては泣いてを繰り返しました。

私も仕事を転職して収入は減ってしまいましたが近くの通える会社にして、何時でも娘の調子を見れるようにしました。

流石に妻は参ったようでしたが、私は大変ではあったけど辛いと思ったことは無いと妻に告げると驚きとともに落胆もしたそうです。

“私は辛いと思ってた、ダメなのかなと”

そんなものは人それぞれで、当人にとって辛いモノであればそれは辛い事なのだと。

子育ては杓子定規で済む話ではない。やってみなければわからない事の方が多いのだと。

24時間泣いてるわけじゃないし、おっぱい飲ませておけば泣き止まなくても死にはしない。

そう偉そうに諭したこともあります。

子育てでは母親の精神的疲労が大きな問題だと思いますが、泣いてから対応するから慌てたり動揺するのだと思います。

泣いたらまずおむつを替えておっぱい飲ませて着替えして、あやして寝なけりゃベッドに寝かせて泣いても様子見。

これが出来うる全ての事だと思います。

このルーチンを鉄の意志で遂行できると心も多少は余裕が出来るのではないかと考えています。

色々な雑誌にも書かれていますが、赤ちゃん特有の夜泣きや泣き止まないといった事象は「特に条件が定まっていない」そうです。

つまりは泣きたいから泣いていると言う事らしいのです。

なので、顔が青ざめたり呼吸が苦しそうだったりぐったりしていたりという状況で無ければ(もちろんそんな事態はすぐに救急車を呼ぶべきですが)特に出来る事も無いし、様子見でも問題はないと言う事の様です。

女性は本能的に泣き声を無視できない様に出来ているという話をどこかで読みました。

乳児の泣き声を聞いて動揺したり、慌てたりするのは仕方の無い事のです。

が、結論から言えば、泣き止まないからと言ってあれこれ考え消耗する必要は無いのだと言う事です。

 

変わって私の話ですが、娘のお目通しも一通り終わり無事に年越しできたと思ったら鼻炎をこじらせ副鼻腔炎になりました。

続いて職場からインフルエンザを貰い、何と娘に移してしまいました。

これには堪えた。

正直舐めて掛かっていました。

娘の苦しそうな顔が今でも目に浮かびます。

病み上がりではありましたが妻と娘を連れて子供救急センターに行ってタミフルを貰い、泣きわめく娘に薬を無理やり飲ませてくれた妻に今でも感謝しています。

そして今年の5月から妻はパートとして職場に復帰し、娘は保育園に通うようになりました。

応募したのは3月も終わりの頃で正直空いてるところはどこもないかもと覚悟したのですが、運よく自宅から歩いて5分の新築の保育園から連絡があり、晴れて入園出来ました。

名取市民会館での入園式を終えていざエンジョイ保育園ライフ!と思っていたらそうはい神崎。

園内で色々お土産を貰う事もあり、中々体調が安定しません。

汗っかきなのであせもから来る肌荒れとアトピーと思えるような湿疹もあり、正直前途多難です。

薬をカワチ薬品で買い漁り、週末は西松屋とバースディを往復する毎日ですが、それでもここまで来ました。

今、妻と娘は大の字で隣に寝ていますが、これが何とも愛おしい事。

それが今や玄関を出たら今生の別れになってしまったというニュースが蔓延る毎日に心を痛めています。。

家族は大事にしなければぁ、と痛切に思います。

初物 による 病気, 子育て, 家族 への投稿 (2019/06/02)