飯塚幸三を見て思う事   Leave a comment

先ずはあまりにも理不尽で不憫だ。

無くなった母子に心からの哀悼を捧げたいと思います。

対してこれほどの事故を起こしておきながら飯塚幸三「さん」(87)は病院で大切に看護されているそうな。

かたや市バスの運転手はやったことは変わらないのに即「タイーホ」。

容疑者になるかどうかの境目は悪質性や証拠隠滅や逃亡など捜査を妨害しうることが判断の一つになるらしいが・・・

バスのドライバーが証拠隠滅できるのかいな?悪質性って、つまりは轢き殺す意図があったって事か?

まさに上級国民様。

はらわたが煮えくり返るとはこのことである。

勲章貰っていようが省庁で優秀な人物だったとしても、人殺しは人殺しである。

これが本当の忖度というモノだよ。

かけいがくえん(なぜかかんじがわからない)なんてメじゃねぇ。

老人+プリウスは事故要因として大いに追及されるべきだ。

先日、とあるまとめサイトでの論破厨が事故率は老人に比べ10代20代が圧倒的に多いと言っていた。

確かにその通りだ。死人だって実際に多い。

だがこの場合は「運転技術」ではなく、「運転能力」が問われている。

若者はイキった末に「意図的な操作」をし無謀運転の末、他人を巻き込み民地になる場合が多い。

老人は大半がぶっちぎりで操作不適。「ブレーキ踏んでるつもりが実はアクセル」つまり「意図しない操作」をして危険運転の末に他人を巻き込むのである。

意識して無謀運転か意図せず暴走か。前者が馬鹿なら後者は阿呆と言える。

分別つかないのが良いか、思考停止でアクセルジャンキーがイイのかは諸氏の判断に任せるが。

論点がずれてしまった。少し話を戻そう。

87歳ともなれば当然後期高齢者として運転免許の更新の際は特別な試験を受けることなる。

この(敢えて言うが)殺人爺も試験はパスしている。

問題なのは2年間の免許有効期間内での運転能力の減退である。

次の日に血管詰まって半身不随でも、ボケ老人になったとしても免許は免許なのだ。

現実的に免許の有効期間がその衰えの速度に対して長すぎる。

一年でいいよ一年で。それでも年齢で強制的に免許取り消しになるよりはずっと優しいだろう。

免許でしかアイデンティティを保てないのであればそんなボケ老人は社会には必要ない。

むしろ害悪である。

人間と野生動物は違うが、足を失えば飢えて死ぬ。それは自然の摂理だ。

それに逆らって殺人機械を乗り回して事が起きたら人のせい。

そんな人間は人間ではない。

故に、事故を起こせば確実に自分の命を以って(償う事は出来ないが)謝罪できるバイクに乗るべきだ。

なに?バイクは倒れるじゃないか?危ないじゃないか?

否。それを認めれば「優秀な運転能力があって初めて乗れるバイク」と「劣った運転能力でも乗れる車」と言う事になる。

乗り手の能力:バイク≧車と自ら認めることになるのだ。確かに一部の原付ライダーの頭の悪さには閉口するが。

乗れる奴は何だってうまく乗れるのだ。

このニュースを聞いて雄たけびを上げながらハイハイをしているわが娘を見ていると胸が痛くなる。

キッチンに立っている嫁が忽然といなくなる恐怖に戦慄する。

この気持ちが殺人爺に残っていればいいのだが。

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初物 による 車/バイク, 未分類, 事故, 人災 への投稿 (2019/04/22)

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